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ながのひむかいこんにちは


by SUWANAGANO

コーヒーブレイク 蓼科は雨


朝から蓼科は雨
まだ寒くて、おこたつを外すことができない
ここは標高1200メートル地帯
夏の節電は、エアコン自体使わないので助かるが
冬の暖房代が、そのぶんかなりたかくなる

東北地方も週末天気が崩れると天気予報では云っていた
ひとつ
難しいな、というメールをいただいた
まだまだ心が辛くて、痛くて、すべてを拒絶してしまう針のような痛みを感じるメールだった
無理もない
まだ三ヶ月ですもの

ただ
生きていてよかった、と、
死んでいないのだもの、と

3ヶ月すぎると、徐々に子供達の精神状態が表にでてくるようになる
躁鬱がはげしくなったり、人を拒絶したり、無感情になってきたり
身体的にも、異常がではじめる頃である

教育は
すべての子供に対して平等であると思う
ただし
度合いに応じてのケアを行わないと、平等にはならない

これは障碍者においても同じことである
身体障害者であっても、平等でなければならないと
ただ
平等になるためには、障害者に対しては、健常者プラスアルファのハード面ソフト面の
フォローをし
健常者と同じスタートラインにつかせなければ
平等とは決していえない

今週
つるべえに乾杯というNHKの番組で、つるべえさんが松本に来ている番組があった
そこで、松本のろうあ学校の生徒たちと出会い、交流を深めた
とても素敵なシーンだった

今週偶然にも
短大に、そこの学校の生徒さんと先生方が、授業の見学に訪れた
自分の受け持つ授業では
前に書いたが、今年から、音声翻訳ソフトを導入し、難聴者の学生でも、授業が行われるシステムにしている
少しいろいろテクニックはあるが
ろうあ学校の生徒も、先生方も、驚かれた
短大生と一緒に席に座り、私の顔は見えない、ごく普通に私は授業を行い、言葉を話し、パソコン操作を行い、右クリック、クリック、コントロールボタンを押しながらの授業をすすめた
難聴の生徒も、短大の健常者の生徒も、当たり前のように授業を行った

これが、平等、というものであろうと思う

お気になる先生方がいらっしゃりましたら、短大に問い合わせていただければ、授業を見ることができますので、遠慮なくご連絡ください

私は、昔書いたが
小学校の時、片腕をなくされた先生に、小学校高学年教わった
とても優しく厳しく、その先生のおかげで、美術がとっても好きになった
高校の時、片耳が難聴の先生に数学を教わった
何度も単純な基本式を飽きもせずに教えてくれて、これで私は数学が好きになった
だから健常者だから、障がい者だから、という垣根は私自身にはなにもない
されど、健常者は自分が当たり前であることができる環境をつくりだす義務はある

すべての子供に教育は平等でなければならないと思う
それはつまり
障害を持つ子なら、障害をフォローする環境を整備してあげなければならない
震災で、親を亡くした子供なら、我慢しなさいではなく、おもいきり抱きしめて、普通の子供以上にケアをしてあげなければならない
親が居る子、家が半壊した子よりも、おいしいもの、うれしいこと、たのしいことをさせなければ
スタートラインにはたどりつけない

そんな事を
メールを読みながら、再確認し
自分のなすべきことも、再確認した

さて

がんばりましょう
皆さんも、がんばりましょう!
by suwanagano | 2011-06-11 08:37 | コーヒーブレイク